名古屋市古民家耐震の参考として
愛知県名古屋市港区干拓地 稲富新田について
文政三年(1820)に栗田兵部によって開発。荒子川の河口部にあたる。
内海屋(内田忠次郎)も開発資金を出したという。稲富の地名はもと「稲留」 だったという。
明治二年には荒廃地のため無税となったという記録もあり、明治九年に永徳新田と合併し、明治11年に稲永新田の一部となる。
TEL.052-382-4548
〒455-0066 愛知県名古屋市港区寛政町5丁目9番地
名古屋市古民家耐震の参考として
愛知県名古屋市港区干拓地 稲富新田について
文政三年(1820)に栗田兵部によって開発。荒子川の河口部にあたる。
内海屋(内田忠次郎)も開発資金を出したという。稲富の地名はもと「稲留」 だったという。
明治二年には荒廃地のため無税となったという記録もあり、明治九年に永徳新田と合併し、明治11年に稲永新田の一部となる。