名古屋市港区の干拓(新田)について(5)

名古屋市古民家耐震の参考として

愛知県名古屋市港区干拓地 七島新田について

天明八年(一七八八)に下之一色村の木村権左衛門が開発した新田で、四町歩ほどで港区内では最小の規模であった。
一説によれば開発以前は新川の東側まで及ぶ島であったという。開発後も木村氏が在住。
文化八年(1811)に名古屋の大船町堀川端の伊藤忠左衛門の所有となる。神明社が氏神で、寺は明治六年開基の日蓮宗寂光寺がある。明治二十二年に茶屋村、明治三十九年南陽村、昭和二十四年南陽町、昭和三十年以後名古屋市港区となる。昭和三十四年には農地が甚大な被害を受けた。昭和五十年には藤高土地改良事業が始まり、七島排水所が設置され、湿田の乾田化が促進され二毛作も可能になった。神事芸能として神楽が保存されている。

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