このような発達した間取りは、豊根村熊谷宅(武士)、設楽町岡松宅(庄屋)、東栄町伊藤宅(庄屋)などの関連があったものと考えられるが、その他の農家の格式は不明ながらも広縁を構えたのもみられる。豊根村の熊谷宅(武士)は、18世紀初期の建造と判断できるが、格式が高いだけに六間取りに広縁を構え長押を回している。その他は長押を回していない。18世紀末の設楽町岡松宅以降になると長押を採用するようになってくる。
間取形式では、18世紀建造と19世紀建造ともに大差のない形式が続いている。したがって、鳥居建や釜屋建のように広間型から広間三間取型に発展し、さらに四間取型(田ノ字型)に発達した変遷と異にするものである。また、広間三間取型も存在するが、喰違五間取型や整形五間取型に、または六間取型に直ちに発展したものか現在のところ、その発展過程を捉えるには今後の検討を待たなければならない。