概 説
記録された大地震のなかで,愛知県が最初に震害をこうむったのは天武13年(684)の南海道沖地震である。
それ以来、昭和19年12月(1944)の東南海地震および翌年1月(1945)の三河地震などを経て今日に至るまで、
約1300年間に愛知県が多少とも震害をこうむったと思われる地震を掲げると次のとおりである。
約1300年間に29回、すなわち約45年間に1回の割合で大地震を経験してきたことになる。
西暦1500年以前は記録も不じゅうぶんであるので、そのころから現在まで約500年間についてみると22年間に1回の割合である。
これにより、愛知県は,20~30年間に1度大地震を受けているといえる。
しかしながら,これは平均値であり、実際には短期間に続発することもしはしばあり、非常に間が遠い期間もある。
続発の例を近県のものもふくめて示すとつぎのようである〔()内は西暦,Mはマグニチュードを示す〕
a.霊鳥元年5月25日(715・7・4)遠江天竜川中流域 M=6.4
霊鳥元年5月26日(715・7・5)遠江天竜川中流域 M=6.7
b. 天正6年10月29日(1578・12・8)三河
天正13年7月5日(1585・7・31)三河
天正13年11月29日(1586・1・18)飛騨白川より長良川にわたる線 M=7.9
c.寛文2年5月1日(1662・6・16)琵琶湖西岸 M=7・6
寛文6年4月28日(1666・5・31)知多半島に津波
寛文9年6月2日(1669・6・29)尾張
d. 貞享2年3月(1685)三河港美郡 M=5.9
貞享3年8月16日(1686・10・3)遠江,三河 M=7・O
e. 正徳4年12月27日(1715・2・1)美濃大垣 M=6・2
享保3年7月26日(1718・8・22)信濃南部,三河
f.安改元年6月15日(1854・7・9)伊賀上野付近 M=6・7
安政元年8月20日(1854・10・11)木骨川下流
安政元年11月4日(1854・12・23)東海道沖 M=8.4
安政元年11月5日(1854・12・24)東海道沖 M=8.4
安政2年2月1日(1855・3・18) 飛騨白川
安政4年5月23日(1857・6・14)大井川下流〟M=6・4
安政5年2月26日(1858・4・9) 飛騨北部および丸岡 M=6.4
g. 昭和19年12片7日(1944) 東南海沖 M=8.3
昭和20年1月13日(1945) 三河 M=6.9
昭和21年12月21日(1946) 南海道沖 M=8.1
最も間の遠い期間は享保3年(1718)南信三河の地震から文政2年(1819)伊勢近江の地震の間約100年である。