名古屋およびその周辺の地盤災害(3)

①東南海地震
(a)概 観 昭和19年12月7日、13時36分、熊野灘の東経136.2°、北緯33.70°(一説には東経137°、北緯34°)を震央とする地震が、静岡、愛知の両県下をほじめ中部、近畿両地方をおそった。
この地震は、慶長9年(1605)、宝永4年(1707)および安政元年(1854)の地震とともに外側地震帯の活動によるものであり、その震害の様相は、この種の地震による震害を示す好例としてみることができる。
震害は-般住家全壊26000戸、半壊47000戸におよび、倒壊家屋を生じた地域は、静岡、愛知の両県下をはじめ三重、岐阜、奈良、滋賀、大阪、和歌山さらに京都、兵庫、徳島、香川、福井、石川、長野、山梨の諸府県下にわたっている。
この地震は震央に近いところでも無被害のところがある一方、かなり遠い地点にも被害を生じ、地盤と震害の関係を顕著に示した。
震軟弱地盤の発達した地区に広くばらまかれていることがよくわかる。倒壊率10%以上におよんだところは、静岡県清水港、太田川流域の見付および森署の両管内および名古屋市南部埋立地の港署管内であり、5%以上の被害を示したものは、静岡県の菊川流域の堀之内、掛川、浜名湖の埋立地をふくむ新居、愛知県の矢作川流域の西尾、知多島の半田、名古屋市埋立地をふくむ南署管内に限られている。
なおこの地震は、紀州潮岬から伊豆下田にわたる津波を伴ったが、震央に直面しかつリアス式海岸の発達した紀伊半島東岸では、津波の高さはいたるところで6mないし8m、一部では10mに及んだ。しかしながら震央に面しているが、海岸線が単調な線をえがいている遠州灘沿岸では1mないし2mにとどまり、さらに震央に直面していない伊勢湾、渥美湾沿岸では海面の上昇は1m未満のところが多かった。

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