③濃尾地震
岐阜県根尾谷付近を震央として明治24年10月28日、早朝6時40分ごろ発震した濃尾地震は、わが国地震史上内陸地震として、けたはずれの規模をもつもので、外側地震帯級のマグニチュード8.4であった。
有感地域は仙台以南の全日本に及び、死者7300人、倒壊家屋142000軒に及ぶ大地震で、根尾谷付近には上下の差5.5m、水平のずれ2mに及ぶ著しい断層を生じ、その延長は北ほ福井付近まで、南ほ南東方へ曲がって岐阜県東推子まで達し、延々100kmにわた
っている。またこの主断層のほかに伊勢湾方向へ向かう断層がみとめられている。一つは岐阜付近から一宮近傍を通り、枇杷島付近へ向かい、他は大垣東方から木曽川の河口付近へ向かうものである。
住家倒壊率は木曽川に沿った中島郡、葉栗郡が県下の最激震地で、75~50%の倒壊率に達し、これに接する海東郡、西春日井郡、丹羽郡が50~25%の激震地を示し、海西郡、愛知郡が10%以上、東春日井郡および名古屋市が約10~5%であった。
名古屋旧市域が4%くらいであったことは、震源から遠く、地盤のよい洪積台地上にあったことによるものであろう。
濃尾地震による地変には激しいものがあった。地割れ、隆起、陥没が主として堤防、道路などにみられ、その事例は枚挙にいとまがない。
井戸、き裂などから噴水、噴砂、噴泥が激震地のいたるところでみられた。これらの現象は新潟地震以来、再び関心事となっている。詳細な記録は愛知県史(上)、ここでは噴砂水のすさまじさを物語る例をいくつか挙げてみる。
① 名古屋市巾下付近で地盤の亀裂から、砂水4.5m以上も噴出。一時はすこぶる猛烈であった。
② 葉栗郡光明寺村で、震動中井戸水が噴き上げること地上90cmくらいで、あたかも数十のポンプから-時に噴水するようであった。
③ 西枇杷島のある井戸は,180~210cm以上も噴砂し、畳上にも砂がみられた。
これら噴砂、噴泥現象の記録は、ボーリング資料の整理が進んだ段階で反省してみる必要があると考える。なおこの地震で、東南海地震の震害地である矢作川下流域において、つぎのように報じられている。
④ 碧海郡近傍田面に噴水し洋々たる水面となった。
⑤ 幡豆郡平坂村字奥田新田では、噴水,噴砂の箇所も最も多く、50ヶ所有余であった。