伝統的建造物群保存地区について、平成30年度時点での登録地区は全117ヶ所となっています。
伝建地区をご紹介して2回目となる今回は、函館市にある「元町末広町」をぶらり旅したいと思います。
函館は古くから天然の良港として知られ、海産物交易の集散地として栄えてきました。
そこで、今回は函館の歴史や経済の流れを辿りながら、元町末広町の街並みや建物の特徴についてご紹介いたします。
1989年4月21日に伝統的建造物群保存地区として登録された元町末広町は、南西側に函館山、北東側に函館港がある、山と海に囲まれた地域です。歴史的文献によると、1802年 埋立により「内潤町」という町が登場。この内潤町が現在の元町末広町のルーツとなっており、江戸時代後期(1964年)に五稜郭が完成すると、現在の町名のもととなる「元町」の町名が登場します。「函館発祥の地」として、函館が最も繁栄した明治末期、大正、昭和初期に建築された和風・洋風さらには和洋折衷様式の建築物が多く残されており、これらが坂道、街路などと融合しながら特徴ある街並み景観を形成しています。
では、この独特な街並みはどのようにして造られていったのでしょうか。
文献を見ていくと、函館の歴史は、船の近代化と大火がキーポイントであったといえます。
函館(以下箱館)では、古くから北海道に住む「アイヌ」と呼ばれる人々が、漁労・狩猟、交易などで生活していましたが、室町時代に蝦夷ヶ島(現在の北海道南部)から和人が進出し、12あった和人の城館でアイヌとの交易を始めました。また、この「道南十二館」と呼ばれる12の拠城館を拠点として和人によるアイヌの領域支配も進んだため、 1457年 アイヌの大首長コシャマインが不平等な交易・圧迫に不満を申し立てて蜂起します。この乱により箱館はゴーストタウン化し、地の境として隣の亀田村が繁栄しましたが、亀田の港は亀田川河口にあり砂や泥が流入して港を埋めてしまうため、船の大型化が進むにつれて、大船は箱館の港に入るようになり、住民も次第に箱館へ移っていったようです。