伝統的建造物群保存地区について、現在、文化庁が選定している登録地区は全117ヶ所となっています。毎回ひとつの伝建地区をピックアップし、その歴史を辿る「伝健ぶらり旅」も、今回で3回目となりました。今回は、青森県弘前市にある伝建地区「仲町」をぶらり旅していきたいと思います。
弘前市 仲町は、1978年5月31日に伝統的建造物群保存地区として登録されました。弘前城の城下町北部に当たるのが現在の仲町で、当然ながら、この城下町の歴史は弘前城と密接な関係にあります。弘前城は、その名の通り、弘前藩津軽氏4万7千石の居城として、津軽地方の政治経済の中心地となった場所です。まずはこの弘前城の歴史から仲町の成り立ちを見ていきましょう。
弘前藩は、1590年(天正18年)、津軽地方の統一を成し遂げ、津軽3郡(4万5千石)の領有を認められた初代藩主 津軽為信により、その礎が築かれました。さらに、1600年(慶長5年)には、関ヶ原の戦いに徳川家康方として参戦し、その功績によって2千石を加増されています。
1603年(慶長8年)には徳川幕府の成立とともに外様大名のひとりとして津軽領有を承認され、そのときに藩政の拠点となる築城の地として選ばれたのが、高岡、現在の弘前でした。
為信は高岡(現在の弘前)に新たな町割りを行い、次々と領地の開拓を進めて城の築城を計画するに至りますが、1607年(慶長12年)に病没。跡を継いだ2代藩主・信枚が1610年(慶長15年)から築城を開始しました。
翌年1611年(慶長16年)には五層の天守閣を構える平山城「高岡城(現在の弘前城)」が完成し、城下町の歴史も始まります。その後もさらに堤防などを築きながら成立した城下町は、1628年(寛永5年)に「高岡」から「弘前」へと改称し、近世都市として歩み始めます。