伝統的建造物群保存地区について、現在、文化庁が選定している登録地区は全117ヶ所となっています。
毎回ひとつの伝建地区をピックアップし、その歴史を辿る「伝健ぶらり旅」も、今回で4回目となりました。
今回は、青森県黒石市にある伝建地区「黒石市中町」をぶらり旅していきます。
2005年7月22日に伝統的建造物群保存地区として登録された「黒石市中町」は、浜街道沿いに造られた商家町です。
まずは、黒石市の歴史を辿り、この黒石市中町の成り立ちを見ていきたいと思います。
黒石市中町は、土豪が小城主として存在する「黒石村」として端緒を開き、1240年には、黒石村周辺一帯を治めていた千徳氏の祖である一戸行重が、浅瀬石城を築城したと云われています。
千徳氏は代々南部の家臣でしたが、永禄年間(1558年~1570年)に津軽為信が台頭してくると、千徳政氏は津軽為信と同盟を結んで南部の城を攻めました。
天正13年(1585年)には、南部の軍勢が浅瀬石城を攻めましたが、千徳氏はこれを撃退。
しかし、慶長2年(1597年、一説に慶長元年)に謀叛の疑いを掛けられて、津軽為信によって攻められ、城は滅亡します。
その後、為信は城郭を破壊し、城下一帯を農村化します。また、津軽統一後、為信は黒石を津軽防備の重要地点とみなし、「旧黒石城」に居城しました。
このように、為信が黒石を重要視したので、浅瀬石附近の住民も徐々に移住し始め、約50年後の慶安元年(1648年)には、浅瀬石城周辺の村落は108軒に減少、逆に、黒石は314軒に発展しています。
これが「黒石市中町」の前身となり、それから8年後の明暦2年(1656年)には、弘前藩から黒石5000石を分知された津軽信英(為信の孫にあたる)が、
黒石初代藩主として陣屋を築いたことで黒石はさらに発展し、「黒石市中町」の歴史の幕が開けます。