さて、金ケ崎の成り立ちがわかったところで、ここからは金ケ崎の歴史にもう少し踏み込んで、その町並みや風景がどうできていったのかを紐解いていきたいと思います。
金ケ崎の歴史的始まりはしっかりわかっていないが、金ヶ崎移住は寛正6年に新渡戸氏の金ヶ崎移住は、伊沢郡西根の古城を再築して住居にしたと伝えられている。
その後一時、九戸政実派の寺山不月が居城したが秀吉の再仕置後の領地配分で伊達62万石の所領が確定した金ケ崎も仙台藩の所領と確定した。
江戸時代になり参勤交代が始まり、奥州街道の参勤交代には欠かせない道筋に宿場町として金ヶ崎町、また北上川の物流の重要な拠点ででもあり栄ている。
金ケ崎の大きな発展のポイントとして重要になってくるキーワードは北上川×仙台藩主 伊達政宗です。このキーワードのかけ算が金ケ崎の大きな発展に寄与したと考えられます。
もともと、北上川は、要衝平泉に根拠を構え、三代百年の平泉文化が育まれた場所で川の特徴からの物流性の良さから繁栄できたと考えます。
平泉よりも上流に当たる金ケ崎は南部藩が居城をかまえた盛岡市にある盛岡城と海運の拠点の石巻港を北上川で200キロメートルを結ぶ河川舟運としての顔と、奥州街道の宿場町としての顔と川に囲まれた要害として館ではあるが準城的な性格を持つことできわめて重要な場所であったと思われます。