伝建地区を歩く 金ヶ崎(5)

伝建タイトル
大正五年前後から国内では自動車への需要が急速に増して、東北にも乗合自動車や乗用車が導入され始め、人力車,馬車に代わる自動車の時代が到来した。
さらに、昭和31年(1956)には金ヶ崎·水沢間が複線化と昭和40年(1965)に仙台から盛岡間が電化で時間が短縮化され金ケ崎もますます衰退することになった。
明治22年(1889)に一級国道に編入され国道4号線となり、昭和36年には全面舗装が実現になってからである。自動車の通行量が増加し始め、昭和37年には、複線化された鉄道と交差する二台の踏切が事故防止策として立体交差化されたことにより、昭和40年代になると、交通量はいよいよ激増して金ヶ崎バイパスが完成した。
特に商業はその中心が新国道沿線に移り、大型店舗や複合型店舗が進出することになった。

このような時代の流れの中で、伝統的建造物群保存地区の金ケ崎の現在の姿が出来上がった。どの地区にもみられるが近代化の波にのることができず発展から取り残され、阻害されたことにより現存しているこの金ケ崎地区である。
今回の金ケ崎町城内諏訪小路は、「北上川×仙台藩主 伊達政宗」が作り上げた特殊な地区であると感じました。
もうひとつ、この地区の特徴として大火が無かったことが、この茅葺屋根の多い町並みが今でも多く残された貴重な地区であると感じました。
この金ケ崎町の伝統的建造物群保存地区は静かで落ち着いた素朴な街並みに癒される地区でした。上記の歴史観をもとに再度訪れてみたいと強く感じました。
以上、乱文ですが、お付き合いいただきありがとうございました。

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