伝統的建造物群保存地区とは、城下町、宿場町、門前町など、全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存を図ることを目的に選定された地区のことです。現在、文化庁が選定している登録地区は全118ヶ所。「伝健ぶらり旅」では、この中から毎回ひとつの伝建地区をピックアップし、その歴史を辿ります。
第6回目のぶらり旅は、秋田県仙北市角館町にある伝建地区「仙北市角館」です。
仙北市角館は、1976年9月4日に伝統的建造物群保存地区として登録されました。
ここは元々角館城の城下町で、現存する町並みの基礎をつくったのは、芦名義勝(旧名:蘆名盛重)だといわれています。城下町は「火除け」と呼ばれる広場を中心に、北は武士が住む「内町」、南は町人や商人が住む「外町」という町割りで、その後、芦名家のあとを引継いだ佐竹北家が京都の生活と文化を取り入れたため、「みちのくの小京都」とも称され、今も角館地区には、小倉山、花場山、鴨川など京都にならった地名がいくつも残っています。
では、ここからは仙北市角館の成り立ちにもう少し踏み込んで、角館の町並みがどうできていったのかを見ていきましょう。
古代の角館については、早くから陶器がつくられていたこと以外まだはっきり分かっておらず、また、角館城の起源についても、いつ築城されたかなど正確なところは判っていません。
文献でも不明な点は多いですが、角館在城の系図によると、応永三十年(1423年)に小松山(現古城山)に角館城が開城し、翌年の応永三十一年(1424年)七月十一日に、戸沢氏十三代家盛が本拠地を門屋城から角館城に移したことから角館城としての歴史が始まったと推測されています。戸沢氏の時代、角館城を「小松山の城」と呼んでいたそうで、いつから角館城と呼ばれるようになったのかは定かではありませんが、他の文献には「戸沢氏は天正十八年(1590年)には角館城主であった」との記載もあるため、戸沢氏が家盛の時代からずっとこの城の城主であったことは間違いないようです。