最後に、第三のキーワード「2つの奇跡」です。
大内宿に起こった2つの奇跡、ひとつめは会津戦争での焼き討ちを逃れたことです。
戦争で敗北し、急激に衰退してしまった大内宿でしたが、焼き討ちを逃れ、明治以降、鉄道や国道が大きく迂回したおかげで、茅葺屋根の宿場町という昔ながらの景観が、ほぼ当時のまま今に残り、四季を通して、昔と変わらぬ人びとの暮らしが息づいています。
第2の奇跡は、観光地化の成功です。
焼き討ちを免れ、近代化の波に取り残されたおかげで当時のまま残すことができた町並みが、1970年(昭和45年)(1970)放送のNHK大河ドラマ『樅ノ木は残った』のロケーション場所として使われました。このことで注目を浴び、これをきっかけに、大内宿ではその後も観光地化に向けて環境整備が行われます。
毎年2月第2土曜日・日曜日には「大内宿雪まつり」、7月2日には「半夏まつり」が開催され、半夏まつりは800年続く全国でも珍しいお祭りとして有名です。
また、大内宿の生業も変化し、現在は、農業から観光産業へと完全に切り替わっています。家並みのほとんどは、お土産店、そば屋をはじめとした食事処、喫茶店、民宿などを営んでおり、実際に家に入り、当時の宿場町の雰囲気を楽しむことができます。
観光客数は、バブル景気が始まると急増し、1990年(平成2年)に会津鉄道が直通運転を開始したことにより、翌1991年(平成3年)には年間50万人を突破しました。その後、1997年(平成9年)に磐越自動車道が全線開通、NTTドコモ東北のオリジナルCMへの起用などの影響で、観光客数は年間100万人を突破。県外からの観光客が90%を占める県内有数の観光地へと成長します。
しかし、2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生。震災によって会津鉄道では、団体観光客のキャンセルが相次ぎ、観光入込客数も2009年度の年間約116万人から、約58万人まで半減してしまいましたが、2013年(平成25年)、会津地方が舞台の1つであるNHK大河ドラマ『八重の桜』の放送をきっかけに持ち直し、震災後の現在も年間80万人の観光客が訪れています。
大内宿では、大切な村・宿場の景観を未来の子供たちに引き継いで行くために、住民憲章を作り「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を守って、景観の保存にと伝統的な屋根葺きの技術習得、継承にも村一丸となって取り組んでいます。地理的にも環境的にも、お世辞にも条件が良いとは言えない大内宿ですが、こういった村の方々の真摯な取り組みと、逆境にも負けない屈強な精神がこの奇跡をもたらしているのだと思います。
伝統的建造物群保存地区には珍しく、いつ訪れても観光地として賑わいをみせている大内宿ですが、多くの逆境を乗り越えながら現存しているという歴史的背景をふまえたうえでゆっくりと歩いてみると、より一層感慨深くその町並みを楽しめるのではないかと思います。
以上、乱文となりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。